患者さん一人ひとりに自信と笑顔を取り戻すこと それが私の使命

 

・・・実は私の生まれは、北海道なんです・・・

 

転勤に伴い九州の彼方此方に長く住んでいたので、縁あって福岡にやってきました。

 

北海道生まれながら九州での生活が長く、つい最近までスキーを出来ませんでした。里帰りで北海道に帰ってスキーをしても、スキーの長さ分だけ滑ったら、安全のために横になることにしていたぐらいです。決して転んだわけではなく、安全のためです。(念のためです・・・、一応・・・、そういうことにして下さい。)斜面をゆっくりながら滑れるようになったのは数年前のことです。

 

でも水泳は小さい時にスイミングスクールにも通い、結構得意です。個人メドレーも出来ます。九州大会にだって出場したこともあります。(参加申請すれば誰でも出場できたという噂もありますが・・・。)

 

熊本県の熊本高校に入学した後、転校して、島根県の松江市の松江北高校を卒業しています。
この松江北高校の明治時代の先生に、怪談で有名なラフカディオ・ハーンがいるのですよ。

 

有名なのは宍道湖に沈む夕日。日本海テレビの本社ビルの1階にあるレストランから嫁が島に沈む夕日を見るのが、グッドポイントです。

 

矯正歯科と審美歯科を学んだ訳

 

・・・九州大学を卒業して・・・

 

私が九州大学歯学部を卒業した頃、歯医者になった者の将来の選択は、直ぐに一般開業医に勤めて実践の腕を磨くか、大学に残り専門の腕を磨くか、の二つでした。

 

審美歯科なんて洒落た言葉はまだなく、大学には補綴科(さし歯や入れ歯を作る治療)、保存科(歯の神経を取ったり、歯槽膿漏の治療をしたりする治療)、口腔外科(抜歯や顎に関する骨折や腫瘍の治療)、予防歯科、小児歯科、放射線科、そして「矯正科」の講座があるだけでした。

 

さて、どこの講座に残って腕を磨こうか・・・と悩んだのですが、ただ歯を削っているのも飽きるし、虫歯がなくなっても矯正の需要は今後もあるだろうと考えて、矯正科に残ることにしました。( 審美歯科をやる上では大きな武器になっているので、大正解でした! )

 

・・・矯正科に残って・・

 

基礎的な研修を受けた後、指導教官の下で患者さんを担当して治療している途中、「歯って動くんだ・・・!」という素直な驚きと喜びは凄く新鮮でした。

多くの諸先輩の先生方に矯正の技術と知識の教えを受けて、数多くの文献を読破して、毎日夜の12時過ぎまで勉強に励んだのもこの時期です。
学べば学ぶほど知らないことが増えて、ある意味とても面白い時期でした。( 初めて勉強が面白い!と感じた頃です。 )

 

ところで、矯正治療をするに当たり、矯正自体に関する多くの知識( 例えば、各種のテクニック、使用材料の特性、顎の成長、歯の周囲組織の反応など) が必要なことは言うまでもありません。

 

同時に、噛み合わせ(顎関節症を含む)、歯周病、などに関する知識も、特に大人を対象として治す時には とても大事でした。

大学では組織研という研究班に所属して、矯正治療に伴う歯の周囲組織の反応の研究を手伝って、幅広く勉強していました。( 今になって思うと、 スピード矯正をやる上では大事なポイントでしたね! )

 

歯科の他の世界でも、今では確立したインプラント、骨造成や組織再生、インプラント矯正もこの当時に日本国内はもちろん世界中で研究が行われていました。

 

・・・審美歯科への芽生え・・・

 

矯正科に残って在籍中に教わった心に残る言葉が二つあります。

一つは「明日出来ることは今日するな!」、もう一つは「矯正は芸術だ!」です。

「明日出来ることは今日するな!」の意味するのは、他の歯科治療とは異なり矯正治療はやり直しがきかないので、じっくり考えての真剣勝負。

「矯正は芸術だ!」の意味するのは、医療ではあるけれどその治療結果はある意味作品のようなものです。おまけに患者さんの笑顔と幸せが付いてくるのです。

今でもよく覚えているのは、外科矯正(外科手術を併用した矯正治療)の患者さんだった高校生です。
「僕は矯正が終わるまでは 大学受験をしない」と言ってご両親を困らせていた彼が、矯正と外科手術が終わった後にすごく明るくなって性格まで変わったようになったのを経験したのは、エポックメーキングでした。

 

矯正治療とはこんなにも大きな喜びを人に与えることが出来るのだ!という感動ですね。

 

ちょうど審美歯科というものが日本でも少しずつ言われだした頃です。

 

そしてそのような時に読んだ本が、『 Fundamenntals of Estuetics 』 という アメリカの審美歯科の専門書だったのです。

審美歯科とはココまで考えるのだ!という驚きが審美歯科を更に勉強していったきっかけでした。

 

ただきれいな歯並びの白い歯にするだけでなく、その人の個性までをも考慮して美しい口元を実現していくことは、とても素晴らしいことだと思います。

 

・・・大学を辞めて・・・

 

ずっと大学に残っているつもりでしたが、矯正科の教授選での争いが辞めるきっかけとなりました。 テレビでもあった「白い巨塔」の世界は本当だったのです。

 

教授間違いなし!と誰もが思っていた助教授が、食道癌でこの世を去ってしまい、主流派から一夜にして反主流派に成り下がった私でした。 ( 事実は小説よりも奇なり!というのを実感したものです。) その後に続く醜い争いの数々・・・。

 

大学に嫌気がさして、約5年間在籍した矯正科を辞めることにしました。 町の開業医に勤務しながら、今後どうしようかと考えていました。

 

その間も矯正歯科と審美歯科をメインに勉強していくことだけは続けていました。
( 専門誌を読んだり、セミナーに参加したりと、結構忙しかったですね。)

裏側の見えない矯正(舌側矯正)を世界中で活躍している東京の竹元先生に、
審美歯科をアメリカで勉強して審美歯科学会でも講演されている東京の永井先生に、
歯周病をその著書が世界各国で翻訳もされている日本を代表する佐藤先生とハワイで開業されている元USC教授のYamada先生に、
インプラントを世界中に名を知られて韓国インプラント学会を創設した初代会長のKim先生に、

とその分野をリードする先生方に教わる機会を得たことは、大いなる幸せでした。

その後も国内外のセミナーに参加して、常に勉強は続けています。
歯科医学の世界も進歩を続けていますので、常に最新の知識を学ぶことが大切であることはいうまでもありません。

 

・・・きれいな歯並びと白い歯は夢ですか?

 

ふと振り返ると、私の持つ技術って、ただ痛みをとる普通の一般歯科ではなく、心の痛み(?)を取って癒すことができるのです。

矯正歯科も審美歯科も治療後に喜ぶ姿を見るのって、虫歯の治療をする以上に、私にとっても楽しいのです!仕事というより半分は趣味の世界といっても良いかもしれません。

そして今、私のミッションは、「あなたのコンプレックスを無くして、あなたに笑顔と幸せをもたらすこと!」です。

一つのテクニックや知識だけで対応できるものではありません。

私の強みは、矯正に関する十分な知識と技術の裏づけの上に、審美歯科やインプラントに関する知識と技術を持っているということでしょう。
多くの選択肢の中から治療プランを立てることができてこそ、多くの人の様々な希望をかなえることができるのです。

また、多くの人に治療を受けてもらうには、費用の問題を避けては通れません。

同じ費用があれば、歯並びだけでなく、もっと白い歯にしたりなどお口の他の気になる部分も治して、更に高い満足を得て欲しいと思っています。

ミッションに基づき、私たちの努力で抑えられるところは、治療費や期間を含めてハードルをちょっとでも低くして、より多くの方に幸せになってもらえるよう頑張っています。
歯並びだけでなく、ホワイトニングしたり、金属を白い歯にしたりなど、同じ費用でもっともっときれいになって欲しい!!と思います。

あなたの悩み、一歩を踏み出して、私に相談してください。

きれいな歯並びと白い歯というあなたの夢は、決して夢で終わることはありません。
ご縁があって、あなたの夢のお手伝いを出来ればと思います。

 

プライベートの私は何を・・・

 

休みで時間が取れるときには、できるだけ海にいます。

 

何をするかって?

実は今、サーフィンをして波乗りに夢中なんです! 
まだまだ下手ですが、夏はもちろん、冬の玄界灘でも波乗りを楽しんでいます。

ちょっと前まではサーフカヤックという波乗り用のカヌーにも乗り、波乗りをしていました。

 

2007年には、宮崎であった全国大会にも出て、ビギナークラスのコンソレーション(・・・敗者復活戦・・・)で優勝しました。

波が無い時には、シーカヤックにも乗っています。

 

シーズンにはシーカヤックのレースに出ることもあります。
佐賀のいろは島であるシーカヤックのレースには毎年出るようにしています。
昨年は佐世保の九十九島であった記念レースにも出ました。
レースの順位ですか? 出場者の中で半分ぐらいの所でした。